昨日のデニス・テン選手の悲報はあまりに突然で、たぶんフィギュアスケートファンの大部分は、私と同じような昨日と今日を過ごしたのではないかと思います。
何をしていても悲しい、寂しい。。。
デニス・テンが25歳の若さで急逝
デニス・テン選手が亡くなった経緯は、新聞やウェブのニュースでいろいろと伝えられているので、私がここに書く必要はないのかなと思います。
昨日、私が受け取った第一報は、テン選手が車のミラーを盗もうとした見知らぬ二人に刺されて、3リットルの出血をして病院に搬送されたがかなり危険な状態である、というカザフスタンからのニュースでした。
それから祈りながら続報を待ちました。どうか助かって、と。
そして届いた続報は、私が期待していた内容ではありませんでした。
現地では混乱しているだろうし、テン選手ほどの有名人ともなるとマスコミも注目を集める記事を書きたがるだろう。きっとこの情報は、どこかのマスコミが出してしまった誤報にちがいない、きっとそうだ、と祈るような気持ちでいたのですが、その後に来た情報はどれも、それが誤報ではないことを示す残酷なものでした。
まだ25歳だよ。これからって時だよ。
しかも暴漢に殺害?冗談でしょう?!そんな不条理なことがあるなんて・・・
犯人がふたりとも捕まったというニュースを見ましたが、捕まってもデニス君は帰ってこない。。。
デニス・テン選手について
デニス・テン選手の演技で一番印象に残っているのは、2015年の四大陸選手権です。
もう本当に素晴らしい演技で、SPとFS両方1位の完全優勝でした。
この時に驚いたのがスケーティングの美しさでした。鮮明に覚えています。元々バランスのとれた選手でしたが、これほどスケーティングがきれいだったとは・・・!
平昌五輪ではケガのために成績が伸びず、世界選手権は欠場、どうするのか心配していましたが、先日発表されたGPSのアサインに名前を見つけてホッとしたのは記事に書いた通りです。楽しみにしていたのに。。。
私が初めてテン君を見たのは、ドイツのドルトムンドで行われたNRW杯でした。2009年です。9年前、まだ16歳でした。タラソワコーチも帯同していて、その頃は浅田真央選手なども抱えていて多忙なのに、B級大会にも自分が付いて来るなんてテン選手にずいぶん目をかけているんだなと思ったのを覚えています。
この頃はまだまだ少年っぽかったのですが、試合ごとに繊細ながらもたくましい青年に成長する姿を、とても楽しみに見ていました。
残念なことにケガの多い選手で、私のブログでも「デニス・テン選手、○○選手権を欠場」という記事がいくつもあるんですよね。ケガがなければもっと成績を残せたと思うのですが。やはり一番輝いているのはソチ五輪の銅メダルでしょうか。
デニス・テン選手が他のフィギュアスケート選手から慕われ、愛されていたのは、今回のことで本当にたくさんの選手がSNSでその死を悼んでいることからもわかります。
テン選手は人柄の良さでも知られていましたからね。
私はテン選手の衣装も個性的で好きでした。
デニス・テン選手、ありがとう!安らかに!
これから、たくさんやりたいことがあったと思うのに・・・人生まだまだ、これからだったのに・・・
本当に残念で仕方ありません。
駐日カザフスタン大使館で献花台を設けています。
7月21日と22日の週末、23日の月曜日だそうです。
電話で確認してからお出かけください。電話 03-3589-1821
デニス・テン選手、ありがとう。そしてやすらかに。。。
あなたの滑りを忘れません。
日本語ではこの記事がまとまっているかと思います。
ISUでもデニス・テン選手の特集記事をあげています。写真や動画なども。
カザフスタンの文化スポーツ省のウェブサイトから、お葬式に配られたというデニス・テン選手の冊子をPDFでダウンロードできます。こんなことをしてもらうほど、彼はカザフスタンの英雄だったのだな。そして、天国に旅立ってしまったのは本当なのだな、と切なくなります。
カザフスタン文化スポーツ省サイト
右のデニス・テン選手の写真をクリックしてください。
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